天和2年(1682)には、石見国より加藤明友が入り水口藩が成立、水口城はその居城となりました。明友は賎ヶ岳七本槍で聞こえた加藤嘉明の孫で、本城の別名「碧水城」は明友の命名です。 第二代の明英は幕府若年寄りとなって下の国壬生へ転封、能登国より鳥居氏が入りました。しかし一代のみで領地の交替があり加藤氏が再入封、以後明治維新に至りました。なお同家は元来外様ですが、明英の時、準譜代格となっています。 水口藩は甲賀・蒲生地域を中心に2万5千石を支配する小藩ながら、水口・日野など重要な地方都市を治めました。 藩政下の事件としては、天保13年(1842)に幕府の無謀な検地に反対して起こった一揆や、幕末は勤王方につくなど、少藩ながら見るべき活動がありました。
●交 通 (拡大画像を見る)